見えない赤いロープ

 『居酒屋の潮音』は、ママの珈琲専門店サンキッズの前にある坂を下って五分

の駅前商店街の入り口にある。

「いらっしゃいませ。何人様ですか?」 
 和服を着た小奇麗な四十過ぎの仲居さんが入り口のI子達に聞いた。

「待ち合わせをしているのです。二十代後半ぐらいの男の人たち三人ですが・・」
 と、店内を見渡しながら仲居さんにI子が答えた。

「お二階のお座敷に男性の方が三人いらっしゃっています」
 仲居さんは、丁寧に和服の袖を持って階段に手を向けて通路を空けた。忙しくな

る時間のようで、後ろにもお客が続いている。

「なんだ二階なの。せっかく新しい靴を買ったのに畳の上なんてついてないな!」
 ブツブツ言いながら靴を脱ぎ階段を上がるK子。

「ここの壁に『はつがつお』って紙に書いてあるわ。今度、お魚に生まれてこなかった

ら食べてあげるわね」 
 U子が、お勧めのメニューとして壁に書かれた鰹のイラストに話かけながら、階段を

上がった。

「まったく、二人は、いつもこうだから!」
 と、I子の独り言。靴箱に無造作に入れたK子のあの新しい靴とU子のスニーカーを

綺麗に揃えて自分の靴を左側に置いた。それから二階に上がると先に座った二人がI子

を呼んだ。

「I子、ここよ。早く、早く」
 一番奥の右側のテーブルから二人が手を振っていた。

「こんにちは。お待たせしました」
 I子が、少し緊張した顔で男性陣に挨拶をした。

「この前はどうも」
 と、短く声を掛けたのが私立中学の英語教師をしている木村大和だった。メガネの奥

にある細い目がI子に向かい側の席を勧めた。

「飲物は何にしますか?僕達は生ビールを注文します」
 聞いたのは、コンピューター会社で営業をしている宮崎陽光だった。

「陽光、メニューを見せてあげないとわからないだろ」
 佐久間健人が宮崎に言った。佐久間は5つ星ホテルのフロント係をしている。

「そうねー。私も生ビールでいいな。あとは揚げ出し豆腐と蟹サラダかな」
 I子が伝票を持って正座をした仲居さん伝えると、K子が続けた。

「私は海草サラダとレモンサワーをお願いします」

「なんだ、それだけですか? 若いから思いっきり食べた方が体にいいと思うけど」
 と、宮崎が聞いた。

「陽光、女性には夏になると気になることがあると思うぜ。お前みたいにただ食って、

外でサッカーボール追いかけているのとは大きく違うと思うぜ」
 と、佐久間がK子に助け舟を出した。

 さっきから、一言もしゃべらなかったU子が口を開けたのは、そのときだった。

「若竹の煮物、野菜の天ぷら、茶蕎麦、あとは・・牛肉のたたきを生姜醤油でね。飲物

は熱いお茶がいいな。以上です」

 皆が見つめる中、U子の注文が無事に終った。それぞれの飲物がすぐに三人の前に

並ぶと、六人で乾杯をした。

「To The Future!(未来に)」
 と、木村がジョッキーを上げた。


 U子が電話をかけに一階に下りたのは、未来の為に五回目の乾杯が終った時だった。

「もうー!。最後の十円玉だ。手短に話をしてくれよ」
 背の高い男が背中を向けてピンクの電話の前で話をしていた。

「それから、どうした?そんなに込み入ったことを言っていると電話が切れるぜ」
 受話器を右側の肩と首に挟んでジーンズのポケットに手を入れてコインを探しているの

を見たU子は、とっさに十円玉を三つ電話のスロットに落とした。昨日の出来事から買い物

をしたら、十円玉を入れる財布もう一つを持っている。

「どうもー。いや、こっちのことだ。それはわかっているけど・・」
 男は相変わらず込み入った話をしているようである。背の高い電話の男の後ろに並んで

いるU子は、無意識に話を聞いている。暫くして、あごの無精ヒゲを触りながら話している男

が昨日の御縁玉、いや十円玉の男であることが分かった。

「あっ!・・御縁玉だ」
 と、声が出たら、男が、U子の方に振り向いた。それから、少しして受話器を置いた男がU子

の前に立っていた。

「どうもありがとう。助かりました。お金はお返しします。ちょっと待ってください」
 と、言ってレジに向かおうとした男に、U子が両手一杯の十円玉を見せた。

「あれ。もしかすると、君は昨日の・・」

「U子です。昨日は助かりました」
 U子は頭を下げた。

「小田原大です。今日は助かりました」
 と、小田原が言うと、二人は笑い出してしまった。笑いが止まった時にU子が聞いた。

「恋人に会いに行くのですか? あっ、ごめんなさい。余計なことを聞いてしまって。電話の話

を少し聞いたので・・」

「恋人か・・ああ、コマクサのことだね」

「こ・ま・く・さ…女性のお名前ですか? 珍しいけど、綺麗なお名前ですね」
 小田原は、笑いを堪えながらU子にコマクサを説明した。コマクサは二千五百メートル以上の

山に咲く高山植物の一種であり、山男達からは女王と呼ばれていることを伝えた。

 小田原は、都会の生活に疲れると友人達に『恋人に逢いに行ってくる』と、言っては山に行くの

が口癖だ。今回は一緒に登るパートナーに急な仕事が入ってしまって行けなくなったので、電話

で他のパートナーを探していたところだ。

「高尾山だったら、登ったことがあるけど、もっと高い山だと星が綺麗でしょうね。いつか見てみた

いわ。女王の上に輝く星達を…」
 と、口に出してから、U子は星の話はしない約束だったと思い出したので話を止めた。


「U子さん、どうしました」
 心配していた佐久間が二階から下りてきてU子に声をかけた。

「お友達ですか? じゃあ、僕はこれで」
 と、小田原が言い終わると、U子と佐久間が見守る中、レジの前を通り、暖簾の揺れる出口に向

かって歩き始めた。すると3回目の右足を出す時に立ち止まった。そして、振り向いてU子に言った。

「来週の土曜日から山に入ります。何度か街には下りてきますが、新雪の降る頃には白馬の雪渓を

越えたテント場にテントを張っています。よかったら、あなたの星と僕の恋人に逢いに来て下さい。待

っていますよ」
 また、無精ヒゲが笑った。

 U子は、小さく手を振って、独り言を言った。
「山登りはロープが必要だから、見えない糸でなくて、見えないロープ。やっぱり赤色のロープかな…」

 

 

 

 

有限会社

大分プラスチック工業所

 

〒879-7125

大分県豊後大野市三重町

内田4022番地2

 

Phone

0974-27-4005

 

Fax

0974-22-6645

  

Skype

skypeoitaplasticltd

 

E-mail

oitaplastic.ltd@gmail.com